Downtown LA, CALIFORNIA
前回の続きになりますが、アメリカに来るまでのお話です。
専門学校を卒業し、歯科医院へ就職。
しばらくしてからですね。なんとなく分かった気になって、
この仕事を続けていく自信を失いかけたことがあります。
仕事が辛いとかそういうことではなく、この仕事の未来への不安。
今騒がれているような、この業界を取り巻く多くの問題は、
当時からありましたから。
同年代の仲間が、それぞれカタチを作り始め、
何だか、だいぶ遅れをとった気がしていましたね。
仲間とは切磋琢磨し . . . なんて、思っていましたが。
刺激と感じられたのは、その背中の熱気を感じられている間だけで、
遥か見えなくなってしまったその背中は、追いかけることさえままならず。
傍らで傷を舐め合うように励まし合っていた仲間達ですら、
気が付けば違う道へと進むことを選び、
ひとり。置いていかれた気がしていました。
その歩みを止め、それらしい言い訳の言葉を思い付くだけ並べ、
この道を進み続けることを諦めかけていたちょうどその頃、
社会人となり3年目辺りでしょうか、
大型、普通自動車二種とフォークリフトの免許を取っておこう!
そんなことを考えていた自分がいましたね。
歯科技工の道を諦めた自分が、まず食う為の働く糧が欲しかった。
結果から先に言うと、免許は取らなかったのですが。
そんな揺れ動く若き歯科技工士の心を感じていらっしゃったのか、
当時勤めていた歯科医院の歯科医の先生方には、
仕事帰りに毎日のように食事に連れて行っていただましたね。
励まされ、勇気づけられ、尻を叩かれ、共に熱唱し、時には朝まで。
飲んで歌って忘れてしまえ!とばかりに。気が紛れていたのでしょう。
当時の自分はそこに救われていましたね。本当に感謝しています。
今思えばちょっと年の離れたすごく出来のいい兄貴達のような存在で、
出来の悪い弟としてはただただ甘えてばかりいましたね。
そんな兄貴のような先生方からのアドバイスもありましたし、
なにより、励まされ、驕られっぱなしの自分は何がお返しできるのだろうか、
歯科技工士として。
大型二種等の免許費用を、今一度、歯科技工に突っ込んでみました。
ヨーロッパは学生時の研修旅行で行ったことがありましたし、
アメリカで修行、院長先生のあの言葉が自分の中にありましたから、
行ってみたい!その下準備として、まずポーセレンを勉強しよう!と。
国際デンタルアカデミーとクワタカレッジを立て続けに受講しましたね。
歯科医院に勤めながらの週末通いでしたが、
アメリカで働く為の十分な自信となりました。
初めはアメリカでの就職希望だったのですが、
たまたま紹介されたのが、UCLAへの留学。
国際デンタルアカデミーでの恩師からの勧めもあり、
インプラントを勉強するための留学を決意しました。
2000年、ミレニアムな年に単身渡米です。
ということで、アメリカに来るまでを長々とご紹介しましたが。
今、言えることはとても恵まれていたということ。
そのような環境が、選択肢が、身近にあったということは、
運が良かったと言えます。
そして今の自分だから、運が良かったと思えているということ。
当時、それを自覚していたかというと、そうではないんです。
結果論でしか言えないのが歯痒いのですが、
未来は自ら変えられるもの。
アメリカの大学から送られてきたのは見慣れない英文書類。
その厚さに心折れていたなら、何も始まっていなかったでしょうね。
結局、歯科技工の道を諦めていたかもしれません。そういうことです。